「息子には、いずれ任せるつもりです。まだ、具体的には何も決めていませんけど」。
60代半ばの経営者の方から、そう伺ったことがあります。表情は穏やかで、迷っている様子でもない。むしろ、もう心の中では決まっているのでしょう。
けれど、そのあと私が「株はどう移されますか」「借入の個人保証はどうなりますか」と伺うと、少し間が空きました。そこまでは、まだ考えていなかった、と。
事業承継は、気持ちが決まった瞬間に始まるものではありません。数字を整え始めた瞬間から、ようやく動き出すものだと思っています。今日は、そのことについてお話ししたいと思います。
承継は、気持ちでは引き継げない
「あとは頼む」と伝える。「わかりました」と受ける。それで済むなら、事業承継はこれほど難しい話にはなりません。
実際に引き継がれるのは、社長の椅子ではありません。株式です。借入金です。個人保証です。取引先との関係です。そして、社員の生活です。
これらは全部、金額と契約と名義でできています。
気持ちは、承継の前提ではあっても、承継そのものではない。
たしかに、想いは大事です。何のためにこの会社を続けるのか、そこが空っぽでは、後継者は走れません。けれど想いだけを渡されて、数字の輪郭が見えないまま社長になった方が、就任後どれほど心細い時間を過ごすか。私は、その姿を何度か目にしてきました。
数字が曖昧なままだと、後継者は動けない
後継者が就任して最初にぶつかるのは、たいてい銀行です。
面談の席で、去年の売上、粗利率、借入の返済スケジュール、来期の見通し。それらを自分の言葉で説明できるかどうかが、いきなり問われます。ここで詰まると、「先代の頃とは違う」という空気が、静かに生まれてしまう。
これは、後継者の能力の問題ではありません。渡され方の問題です。
以前、『銀行が見ている決算書のポイント|融資に強い会社の数字とは』という記事でも書きましたが、銀行は人柄も見ますが、最後は数字で判断します。ならば承継の準備は、「決算書を、後継者が説明できる状態にすること」から始めるのが、案外いちばん実務的なのです。
要は、渡すべきものは、会社の物語だけではなく、会社の構造だということです。
- どの事業が、いくら稼いでいるのか
- どの取引先に、どれだけ依存しているのか
- 借入はいくらで、いつまで返し続けるのか
- 個人保証は、誰が、どうなるのか
- 役員退職金や株価は、いくらの規模の話になるのか
ここが曇っていると、後継者は判断ができません。判断ができないから、前社長に確認する。確認するから、実権が移らない。そうして「社長は交代したのに、決めるのは会長」という状態が、何年も続いてしまいます。
一人で背負うから、承継は先送りされる
先送りされる理由は、経営者のやる気の問題ではないと、私は思っています。単純に、相手が多すぎるのです。
税理士、銀行、保険、場合によっては弁護士や司法書士。それぞれ正しいことを言うけれど、話す言語が少しずつ違う。株価の話、返済の話、保証の話、贈与の話が、別々の机の上に散らばっている。
それを一枚の絵にまとめる役が、社内にいない。だから、社長が一人で全部を抱えることになります。
整理役がいないだけで、決断は何年も遅れる。
ここで、社外CFOという選択肢が出てきます。常勤の財務役員を雇うのは重い。けれど、経営者の隣で数字を組み立て、専門家との間を通訳し、承継のスケジュールを一本の線に引く役割は、外からでも十分に担えます。
役割の違いについては、『社外CFOと顧問税理士・常勤CFOの違いとは?役割を比較して解説』でも整理していますので、よろしければご覧ください。
二人三脚とは、決めるのは社長のままだということ
誤解のないように申し上げると、社外CFOは代わりに決める人ではありません。
決めるのは、最後まで社長です。誰に、いつ、どう渡すのか。株をどうするのか。社員にいつ伝えるのか。これは他人が肩代わりできる決断ではありません。
社外CFOの仕事は、その決断を、数字の上に載せることです。この時期にこの方法で渡すと、税負担はこうなる、資金はこう動く、銀行にはこう説明できる。選択肢を並べ、それぞれの結果を金額で示す。
選ぶ人と、選べる状態をつくる人は、別でいい。
だから、二人三脚なのだと思っています。並んで走らないと、この足並みは合いません。
私自身、渡し方の重さを現場で見てきました
私は為替仲介の世界から始まり、保険、ITと、業界を渡り歩いてきました。営業の現場で、経営者の方と向き合った時間は、30年を超えます。
為替の世界にいた頃、目の前の数字が一瞬で動く場面を、毎日見ていました。あの現場で身についたのは、感覚ではなく、根拠を持って数字を語る癖です。金額の裏側に、必ず理由がある。それを説明できない提案は、通らない。
保険の仕事では、経営者の万一と会社の資金を、同じ机の上で考える場面が何度もありました。事業承継の相談も、そこで数多く耳にしました。多くの場合、悩みの中身は税金の話ではなく、「うちの息子に、この借入を背負わせていいのだろうか」という、もっと生々しい躊躇でした。
そして自分が起業してみて、経理も財務も一人で回した時期がありました。数字を自分で組むと、会社の輪郭がはっきり見えてきます。あの感覚を、後継者にも早めに持たせてあげたい。私はそう思うようになりました。
おわりに
事業承継は、一日で終わる手続きではなく、何年もかけて数字を整えていく作業です。地味で、書類が多く、すぐには成果が見えません。けれど、その地味な積み上げがあるかないかで、後継者が最初の一年を走れるかどうかが決まります。
想いは、社長の中にすでにあるはずです。あとは、それを金額と期限のある計画に置き換えていくだけ。そこは、一人で抱えなくていい部分だと、私は思っています。
一人で考えていると、どこから手をつけるべきかが見えなくなるものです。もしお困りのことがあれば、ぜひお気軽にご相談ください。現場目線で、一緒に考えていきたいと思っています。